自分を監禁プレイする4人の人格、さらにそこに現れる4人の少女たちが脳内の精神世界が田舎にある静謐な一軒家で送る奇妙な共同生活。今作は個人的に自分殺しの物語かと思っています。そもそも、日常生活の中でコミュニティによって自己のペルソナを使いわけ、その上SNS等でいくつものアカウントを使い分けている現代。皆がある種多重人格者。だから他人事じゃねえよ。人生における節目(子供を授かるとか大学に進学するとか)、それぞれの人格はそのままではいられず、アップデートした人格に席を譲らなければならない。そんな、古い自分をどう殺していく過程を、Maison Book Girlの静謐で神秘的な音楽とともに語られる。自分殺しの物語は誰しもの人生に起こりうる。(大下直人/Kisssh-Kissssssh映画祭)
多重人格の主人公への音楽療法という形で音楽を活用し、今回のMOOSIC作品の中でも最も実験的に映画と音楽の融合を狙った作品。ものすごく練られた絵作りとMaison book girlの持つイノセンスな世界観との融合は素晴らしかったが、作中での音楽の鳴り方が狙いに対して少し効果的ではなかった印象。(松岡/下北沢映画祭運営委員会)
サクライケンタさんの純度がきわめて高く、カルト的。変態性とフェチ度が極めて強いです。良い意味で閉じた美学を貫き通しています。ツボるひとはツボりまくって抜け出せない感じ。西島が脚本と出演で参加した『世界の終わりのいずこねこ』とは音楽家は同じでも、内向き/外向き、感覚的/論理的、と真逆な印象で興味深かったです。Maison book girlという当時まだ不安定な素材の輪郭を、監督が探り当てようとしている印象。和田輪さんの「メガネなし」はつじあやのの「メガヌード」(例えば古くてすみません、何だったんでしょうあれは?)のようで、ありだと思いました。(西島大介/漫画家)
多重人格の治療行為中の主人公の心の中を一軒家に住む4人のキャラクターで描き分け、音楽治療行為をMasion book girlが演じる白い妖精たちで表現した構成など50分足らずの尺の中でそつなく纏めている。(松村厚/第七藝術劇場)
抽象的な事象をドラマとして再構築する意欲も、音楽の関わり方も楽曲自体も、すごく魅力的だったのですが、結局Maison book girlの印象があまり残ってなくて…(彼女たちが人格を演じるんじゃダメだったのかなぁ)。前フリが、小根山悠里香×サクライケンタだったら納得したのかなぁ…それって同じことかしら?(溝口徹/横川シネマ!!)